食べ物の貯蔵法のうち、乾物とともに最も基本的な方法で塩で漬け込んでおくことです。漬物の最初も、多収穫時の食材確保や凶作時などに対する食材の備蓄の目的で、塩に漬け込むことから始められました。人間にとって塩は、生命を維持するための絶対不可欠の物質であり、常に人間のまわりには塩が存在していましたから、漬け物は人間の歴史とともに一緒に歩んできた食品ということができます。
◆漬物の始まり
日本での漬物の初見は天平年間(七二九~七四九)の木簡に残されているウリの塩漬けの記録で、その後平安時代の『延喜式』に酢漬け、醤漬け、糟漬け、にらぎ(アオナ、セリ、タケノコなどを楡の樹の皮と塩で漬け込んだもの)須須保利(アオナやカブなどを、塩、大豆、米で漬け込んだもの)、えずつみ(カブ、ショウガなどを荏胡麻の葉で包み、これを醤に漬け込んだもの)などが記載されています。当時の漬け物がいかに多彩で本格的なものであったかを知ることができますが、これはまた、日本の漬け物が、いかに古い伝統をもったもでのあるかも理解できることです。したがって、日本の漬け物はすでにこの平安時代までに完成していたとみてよいでしょう。
◆漬物の誕生
『延喜式』によりますと、平安京では都の西の市に魚の塩干し店があって、そこには干鯛、蒸し鮑、千鳥、楚割(鮭肉をこまかく切って干したもの)などとともに「嘗めもの」が売られていました。これは味噌に肉、魚、菜、香料などを漬け込み、これを熟成させた漬け物の類で、鰹みそ、鳥みそ、時雨みそ、生姜みそなどがあったのですが、平安の都にすでにこのような漬け物屋があったとは面白いものですね。また、室町末期から江戸初期の京坂には「香の物屋」と呼んだ漬け物の専門店があり、このころから全国に漬物屋が店をかまえるようになったようです。
漬物はその後、江戸期に入って一段と数と種類をふやし、地方の名物、風味物となって全国の至るところにまで浸透していきました。そして、明治、大正といった近世になると、それが大量流通嗜好品といった業務用専門店にまで発展し、家庭でつくる手づくりのもとと同様に国民に広く愛好される副食物となりました。昭和に入ってからは、漬け物の原理や微生物の役割、食することの効用といった研究が急激に発展し、より国民色の濃い嗜好物となって今日を迎えています。